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2019.11.06 | 建築

私の好きな”かたちと風景” ⑬台徳院霊廟惣門

私の好きな “かたちと風景”
⑬台徳院霊廟惣門

背面に東京タワーがそびえる港区芝公園の一角、日比谷通りに面して壮麗な門が建つ。台徳院霊廟の惣門として建てられた門である。台徳院とは、江戸幕府二代将軍徳川秀忠のことで、いわゆる戒名である。徳川家康は東照大権現、三代将軍徳川家光は大猷院である。霊廟とは、彼らの霊を祀った宮のことである。
台徳院霊廟惣門は、現在は国の重要文化財となっている。それ以前は、明治30年の古社寺保存法を改めた昭和4年の国宝保存法のもとで、昭和5年5月23日の第一回告示で国宝に指定されていた。昭和25年、それまでの旧法を改めて制定した文化財保護法に基づいて重要文化財となった。第二次世界大戦前までは、本殿を含む多くの歴史的建造物が現存したが昭和20年の東京大空襲で大半が焼失し、4つの門だけが現存する。そのうち惣門を除く勅額門、丁子門、御成門は埼玉県所沢市の狭山山不動寺の境内に移築された。

『東京府史蹟保存物調査報告書 第11冊 芝上野德川家靈廟』(以下『報告書』と呼ぶ。)によれば、惣門は霊廟の第一の門で、台徳院は寛永9(1632)年2月に起工し、本殿棟札より7月には上棟したとある。これ以降も境内施設の建設は引き続き行われ、寛永10年に一通りの工事は終えたようである。文化庁によると、惣門は寛永9年の竣工となっている。

構造形式は八脚門形式である。八脚門というのは、扉や屋根を中心で支える親柱以外に前後に八本の柱が立つ形式をさして言う。『報告書』によると柱間寸法は、正面中央は13尺、左右は8尺7寸、側柱は10尺とある。屋根は入母屋造、柱は朱塗りである。柱の上部の組物がある部分は、組物と組物の間に間斗束や蟇股(入口上部)を納め、垂木は並行とし、柱は上下の端部を面取りする粽にしていないことなどから、基本的には和様と呼ばれる形式であることがわかる。『報告書』によると、霊廟建築の場合、惣門は装飾的には単純な和様とするのが一般的とされ、奥にある建築ほど禅宗様など派手なものになっていくとされているので、その点は標準的であることがわかる。この門の最も特徴的な点は、正面と背面の屋根上にある唐破風を見せている点である。唐破風と朱塗りは、惣門の重厚感を高めている。台徳院霊廟惣門は、増上寺と芝東照宮の間に建つので、歴史を訪ねる散歩には最適な場所である。
 
 

参考:東京府史蹟保存物調査報告書 第11冊 芝上野德川家靈廟、東京府、昭和9年
   国指定文化財等データベース、文化庁

 

 

博士(工学)、有限会社花野果 代表取締役
二村 悟 Satoru Nimura

受賞歴:O-CHAパイオニア学術研究奨励賞 受賞、第47回SDA賞 サインデザイン奨励賞・九州地区賞特別賞 受賞、第5回辻静雄食文化賞 受賞ほか
静岡県掛川市 (旧大東町) 生まれ。博士(工学) (東京大学)。
東海大学大学院博士課程前期修了。元・静岡県立大学食品栄養科学部 客員准教授。
現在は、有限会社花野果 代表取締役、専門学校ICSカレッジオブアーツ 非常勤講師、日本大学生物資源科学部森林資源科学科 研究員・非常勤講師、工学院大学総合研究所 客員研究員。
主な著書:水と生きる建築土木遺産 彰国社 2016、日本の産業遺産図鑑 平凡社 2014、食と建築土木 LIXIL出版 2013、図説台湾都市物語 河出書房新社 2010
花野果 HANAYAKA https://tatemonoxxx.amebaownd.com/

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