まち自慢.net
明智光秀ゆかりの丹波・亀岡「谷性寺」「ききょうの里」─終了しました
京都市の西となりに位置する亀岡市は、大阪府とも隣接する交通の要衝にあり、京都市からは電車でも車でも約20分、大阪市からも約1時間の距離にあります。
奈良時代から、丹波国分寺・国分尼寺が置かれ、京の都よりも歴史が古いまちですが、今日の亀岡の基礎を築いたのは、元亀山城主の明智光秀です。丹波の国主として丹波亀山城を築城し、亀岡を城下町として発展させました。
戦国時代の城は、戦闘を第一に考え「山城」であることが多いのですが、光秀が領主として築いた坂本城、亀山城、福知山城はいずれも「平山城」で、領民の暮らしと一体になり、領民の目線で統治していたことが伺えます。光秀は、城を戦のための砦ではなく、政務の館として考えていたのです。
また、たびたび氾濫を起こしていた由良川の流れを大きく北に付け替える大規模な治水工事を施し、このとき築かれた堤防は「明智藪」と呼ばれるなど、光秀は丹波衆によく慕われていました。亀岡市ではその功績を称え、今でも毎年5月に「亀岡光秀まつり」が開催されています。
光秀ゆかりの地も多く「谷性寺(こくしょうじ)」もその一つ。通称、光秀寺とも、桔梗寺とも呼ばれています。不動明王を本尊とする真言宗大覚寺派のお寺で、光秀は、本尊を篤く崇敬し、そのご加護を受けて本能寺の変を決意、信長討伐という本懐を成し遂げたと言われています。
光秀は山崎の戦いで無念の最期を遂げ、谷性寺にその墓碑が建立されています。それから約270年後の1855年、光秀の首塚も同寺に建てられました。谷性寺には初夏になると、光秀の家紋の「桔梗」が咲き乱れ、「桔梗寺」とも呼ばれるようになりました。
2003(平成15)年、門前に開かれた観光ききょう園「ききょうの里」には、約5万株の桔梗が育てられています。紫や白色だけでなく、ピンクの桔梗や沢ききょう、八重咲きの桔梗もあります。開園は7月23日(日)まで、亀岡の山々や田園風景をバックに清楚な花を咲かせています。
<「ききょうの里」について>
◆開園期間:2017年6月24日(土)~7月23日(日)
◆開園時間:9:00~17:00
◆所在地:谷性寺(別称:光秀寺/桔梗寺)門前(京都府亀岡市宮前町猪倉)
◆アクセス:JR嵯峨野線「亀岡駅」下車、京阪京都交通「園部駅西口行き」バスで約30分、「猪倉(いのくら)」
バス停下車、徒歩5分
◆入園料:500円(中学生以上)
◆主催:丹波/亀岡ききょうの里を作る会
詳細は、一般財団法人亀岡市観光協会の公式HPをご覧ください。
<写真提供>
一般社団法人亀岡市観光協会