生活文化創造都市推進事業

生活文化創造都市ジャーナル_vol.15 創造都市米子へ向けて

鳥取大学地域学部特命教授 野田邦弘氏

 

AIR475と空き店舗活用

鳥取県は人口56万人の人口最小県である。県内には鳥取市(19万人)、米子市(15万人)、倉吉市(5万人)、境港市(3万人)の4つの市しかない。人口規模では米子市より鳥取市のほうが大きいが、米子都市圏(米子市、境港市、南部町、伯耆町、日吉津村、大山町、日野町、江府町)は、安来・松江・出雲の島根県の3つの都市圏といっしょに「中海・宍道湖経済圏」を構成している。県域をまたぐこのエリア人口は68万人と鳥取県の人口を凌駕しており、活発な交流が行われている点で近隣に都市圏を持たない鳥取市と比べて有利な立地条件を有している。しかし、かつては「山陰の商都」「山陰の大阪」といわれたほど賑わった商業都市米子も人口減少、高齢化、過疎化などが進み、近年都市機能の低下は著しい。中心市街地の空き店舗率は30%台である。

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この米子でアートの力で中心市街地を再生しようという取り組みが始まった。米子在住の建築家来間直樹が主宰する米子建築塾が母体となって、市内の空き店舗や空き屋を活用して始まったAIR475(よなご)である。2014年と2015年にはフリーランスのキュレーター原万希子を招聘し彼女の企画監修により、カナダ人アーティストシンディー・望月による滞在制作を行った。その成果は企画展「Rock, Paper, Scissors」として元眼鏡店で開催された(後述する鳥取藝住祭の一環)。

https://www.facebook.com/air475/

 この企画は、2018年米子市美術館で再現された。「Rock, Paper, Scissors」はAIR475のサイトではつぎのように解説されている。「無人島・萱島に戦前にあった謎の料亭『たつみ』と、20世紀初頭に弓ヶ浜からカナダに渡った開拓移民や、彼らがカナダで従事した炭鉱業(石)、木材業(紙)、鉄鋼業(鋏)などをテーマに、来館者は劇場のように組み立てられた室内で、ラジオドラマ、ビデオ、アニメーションなどから成る3つの短編の物語を体感してゆきます。主人公Kの声に導かれ、観客は、海を隔てたカナダと日本を舞台に、1900年から2100年までの3世紀にまたがって時空を超えて展開する不思議な物語の世界へといざなわれます。作品展示と併せて第5展示室は、作品制作のプロセスや、米子・境港・安来などでの調査資料、日系博物館から借用した日本の移民にまつわる貴重な写真・映像資料などのアーカイブ展示や、地域の方々とのパブリックプログラムを通じて、作品が生まれた背景や、それぞれの土地に生きてきた人々の生活の変遷を共有できる場になります。」この一連の取り組みでは、地域住民、キュレーター、アーティスト、などの間でのコミュニケーションが生まれ、地域にあらたなソーシャル・キャピタルが形成された。なにより、地域に埋もれていた歴史や文化をアーティストの力で掘り起こし復活させたことが地域住民に地域への誇りや愛着を取りもどさせることにつながった。

 

オールタナティブ・スペースの歴史

空き店舗などの空きスペースをアトリエやギャラリーなどクリエイティブな空間として再利用する取り組みは1970年代から欧米を中心に盛んになる。1976年にアレナ・ハイスが元小学校だったPublic School 1をリノベーションしアーティストスタジオとして1976年に再生したPS1(Performance Studio 1。現在はMoMA PS1)や女性牧師補の病院としてベルリンに建設された建物をアーティストの創作スペースに転用したKünstlerhaus Bethanien(1974年)などがモデルになったと言われている。これらのスペースはしばしば「オールタナティブ・スペース」と呼ばれる。

BankART NYK
BankART NYK

オールタナティブ・スペースづくりは、日本でも今世紀初頭頃から活発化する。京都芸術センター(2000〜)、3331 Arts Chiyoda(2010〜)など廃校活用が目立つのも日本の特徴である。直島で始まった「家プロジェクト」(1997年〜)は、空き屋1棟を一人の作家に任せて家をまるごと作品化する試みである。この手法は大地の芸術祭に引き継がれ、その後各地で開かれるトリエンナーレなど国際展において、地域活性化の文脈で欠かせない手法として普及することになる(このような活動に対しては、「芸術の道具化」であるといった批判も一方で存在する)。この手法は、横浜で全面開花した。横浜市は2004年新しい都市政策クリエイティブシティ・ヨコハマを展開するが、そのリーディング・プロジェクトは、元の銀行を活用したアートプロジェクトBankART1929である(野田邦弘『創造都市横浜の戦略』学芸出版社)。

http://www.bankart1929.com

鳥取県にもこの動きはリレーされている。野田研究室は、同僚の教員と一緒に大学の授業「地域調査実習」の一環として大学2年生と一緒に2010年鳥取県倉吉市の元明倫小学校(円形校舎)を借りてアーティスト・イン・レジデンスに取り組んだ(明倫AIR)。現地のまちづくり系NPO「明倫NEXT100」の協力を得ながら、小田井真美プロデューサーのもと中村絵美(当時は美術を学ぶ学生だった)が作品制作とその公開パフォーマンスを行った。この時使用した旧明倫小学校は,その後市によって解体方針が決定したものの、明倫NEXT100の署名活動などが奏功して,市は保存活用に方針転換した。同校舎はその後リノベーションをおこない「円形劇場くらよしフィギュアミュージアム」として2018年オープンした。

https://enkei-museum.com

野田研究室は、2012年地域調査実習のフィールドを倉吉市から鳥取市に移した。鳥取市のまちなかの旧横田医院を借りてアートプロジェクト「ホスピテイル」に取り組むことになる。ここでは、アーティスト・イン・レジデンスやアーティストトークなどの他、地域の記憶を記録し住民間で共有する「8mmフィルム アーカイヴ・プロジェクト」などにも取り組んでいる。

http://hospitale-tottori.org

またホスピテイル参加アーティストなどのレジデンス等の用途のため、元遊郭だった旅館「とめや」をリノベーションし「kotomeya」として運営している。

http://cotomeya.weebly.com

 

鳥取県のアーティストリゾート戦略

鳥取県においてオールタナティブスペースの活用の画期となったのは旧鹿野小学校・幼稚園を劇場化した「鳥の劇場」(中島諒人主宰)である。鳥取市出身の中島は東京で劇団を主宰していたが、よりよい制作・公演環境をもとめて地元へUターンし2006年鳥の劇場を鳥取市鹿野町で立ち上げた。人口4千人ほどの小さなまちに十数名の若者がいきなりやって来て演劇を始めたのだ。当初町の人たちから「オーム真理教がやって来た」といわれたりした。しかし十数年たった現在鳥の劇場はもはや町にはなくてはならない存在となり、さまざまな良い影響を町に与えてきた。

https://www.birdtheatre.org/birdtheatre/

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このようななか鳥取県も動き始める。当時県は「アーティストリゾート」構想を掲げていた(現在は「アートピア」へ発展)。しかし従来型の文化事業の他には「アーティストリゾート」を推進する具体的事業は実施していなかった。その最初の取り組みがが、県内各地の住民イニシアティブによるアート活動を支援する「暮らしとアートとコノサキ計画」である。初年度2012年は、「明倫AIR2012」(倉吉市)「鳥取県発アートスタート作品創作」(境港市)「アーティストINまるたんぼうハウス」(智頭町)「劇団ティダー鳥の劇場交流プログラム」(鳥取市鹿野町)の4プロジェクトが対象となった。コノサキ計画は、2014年「鳥取藝住祭」としてバージョンアップする。2015年度の鳥取藝住祭には、AIR475やホスピテイルを含む県内10箇所のアートプロジェクトが参加した。2016年度からは「藝住祭」という名称をやめ予算規模を縮小して現在も継続している。

コノサキ計画や鳥取藝住祭では、県外からやって来たプロデューサー、ディレクター、アーティストなどが地域住民と交流しながら作品制作に協働で取り組むことを通して地域にイノベーションを起こしてきた。このような取り組みの先には、クリエイティブ人材の関係人口増加や移住定住への道筋が見えてくる。

 

クリエイティブ人材が集まってきた大山町

鳥取県のシンボルといえば、県東部の鳥取砂丘と県西部の大山(だいせん)であろう。特に大山はブランド化されており、例えば「大山地鶏」は東京では高値で取引されている。この大山町に現在変化が起きている。コノサキ計画に「大山アニメーションプロジェクト」として参加するため、その創造拠点として町内の廃業した旧馬淵医院がコミュニティ・スペース「まぶや」が誕生したのである(2013年)。仕掛け人は、バンクーバーからUターンしたアーティスト大下志穗たちが組織したまちづくり組織「築き会」だ。

まぶやは地域に連鎖反応を生み出した。2015年にはシェアハウス「のまど間」(旧民家)、2016年には居酒屋・カフェ・ゲストハウス「TEMA-HIMA」(旧民家)、子どものための遊び場「冒険遊び場きち基地」(旧保育所)、芸術体験を通じた学びの場「大山ガガガ学校」(旧長田小学校分校)、2017年にはスタジオ「妻木ハウス」をオープンさせた。このようなさまざまなプロジェクトのプラットフォームとして女性を中心としたクリエイティブチーム「こっちの大山研究所」も活動を開始し「イトナミダイセン芸術祭」も始まった。

http://daisenanimationproject.weebly.com/daisenlaboratory.html

 

ITONAMI DAISEN
イトナミダイセン芸術祭

このような取り組みもあって大山町は2018年度合併後初めて人口の社会増を実現した。鳥取県も大山町を創造的人材集積の県西部地域における拠点と位置づけ支援を行っている。

大山町には創造的人材が集まり、かれらの交流のなかから生まれる様々なアイデアが、アートを超えて地域にイノベーションを誘発している。アーティストは地域イノベーションの触媒の役割を果たすのだろう。大山を震源とするクリエイティビティの大きな波は米子にも到達するに違いない。鳥取県は2024年に県立​美術館を倉吉市に設立するため、現在着々と準備を進めている。これにあわせてAIR475はアーティスト西野達と組んで芸術祭を行うことを計画している。これが実現すれば、山陰初の現代アートフェスティバルとなる。そのときこそ創造都市米子の誕生であり、そこから山陰地域の再生が始まるだろう。

画像提供:野田邦弘氏

 

 

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