生活文化創造都市推進事業

生活文化創造都市ジャーナル_vol.8東京2020大会から生まれる文化的レガシーへの期待

吉本 光宏氏

ニッセイ基礎研究所 研究理事

 

1. 東京2020文化オリンピアードへの取り組み

2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催まで約1,000日となった。

東京2020大会がスポーツだけではなく文化の祭典でもあることは、ようやく徐々に認識されるようになってきた。オリンピック憲章には、「オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである」(根本原則第1)、「少なくともオリンピック村の開村から弊村までの期間、文化イベントのプログラムを催すものとする」(第5章)と明記されている。

実際、今から100年以上前、1912年のストックホルム大会から文化プログラムは実施されてきた。当時は絵画、彫刻、建築、音楽、文学の5つの分野で芸術競技として実施され、スポーツ同様メダルが授与されていた。その後、競技形式から展示や公演を中心にしたものに変化し、1992年のバルセロナ大会以降、前大会の終了年から4年間の文化プログラム「文化オリンピアード」が実施されるようになった。

そしてかつてない規模と内容の文化プログラムを実現して大きな成功を収めたのが、2012年のロンドン大会である。北京大会終了直後から文化オリンピアードをスタートさせ、競技大会開催年にはそのフィナーレとしてロンドン2012フェスティバルを実施した。そこでは一生に一度きり(Once in a Lifetime)をスローガンに、記憶に残る大がかりな文化イベントが数多く開催された。ロンドンだけではなく英国全土で開催されたこと、アスリートと同じ204の国と地域からアーティストが参加したことなどが特徴で、とりわけ若者に創造性を喚起させることが、文化オリンピアードの大きな目標となった。

 

ロンドン2012フェスティバルで実施された「ピカデリー・サーカス・サーカス」

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ロンドンで最も交通量の多いピカデリーサーカス一帯を舞台に芸術的なサーカス・パフォーマンスを行った「ピカデリー・サーカス・サーカス」では、空中ぶらんこ、ジャグリング、フラフープ、綱渡り、道化師など、17か国から240人以上のサーカス・アーティストが登場した。それを実現するため、ロンドン市は1945年の戦勝パレード以来となる道路閉鎖を行った。

写真:© Justine Simons

 

 

 

残念ながら2016年のリオ大会の文化オリンピアードは低調に終わったが、2020年の東京大会でも、ロンドン大会をしのぐ文化プログラムを実現すべく、具体的な取り組みが進められている。

東京2020組織委員会では、2016年9月、リオ大会終了後に、オリンピック・パラリンピックへの多くの人々の参加を促す「参画プログラム」をスタートさせた。8つのテーマが設定されており、そのうちの文化をテーマにした参画プログラムが東京2020文化オリンピアードとして推進されている。公認、応援という二つの枠組みが用意され、組織委員会によれば10月12日時点で、857件(公認376、応援481)の文化事業が認証されている。既にそのうち半数以上が実施済みで、参加者数は約94万人(参加者数を把握できた約140件の事業が対象)に達している。

一方、文化庁は、2015年5月に閣議決定した「文化芸術の振興に関する基本的な方針(第4次基本方針)」の中で、いち早く「2020年東京大会を契機とする文化プログラムの全国展開」を明記した。その後、内閣官房が中心となって「beyond 2020プログラム」が創設された。これは、2020年以降を見据え、日本の強みである地域性豊かで多様性に富んだ文化を活かし、成熟社会に相応しい次世代に誇れるレガシーを作り出す文化プログラムを認定して、日本全国で展開しようというものである。

現在は、文化庁を含め政府全体でこのbeyond 2020を推進しており、芸術系大学の学生から募ったデザインの中からロゴマークを選定し、今年1月から認証が始まっている。内閣官房によれば、こちらは10月13日時点で1,993件が認証されている。

こうした動きと並行して、文化庁は5月下旬に「文化情報プラットフォーム」の運用を開始した。これは東京2020大会に向けて全国各地で展開される文化プログラム等に関する情報を一元的に集約・登録するデータベースで、ポータルサイト「Culture NIPPON」の試行的な運用も始まっている。そこには、公認・応援文化オリンピアードやbeyond 2020に認証された事業に加え、全国各地で開催される展覧会や公演、ワークショップやシンポジウム、お祭りなどの情報が幅広く掲載され、今後、自動翻訳の機能を活用して多言語で国内外に情報発信することとなっている(現在は英語のみに対応)。

 

東京2020大会に向けた文化プログラムの枠組み

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出典:文化庁パンフレット「文化プログラム発信!」より

 

 

さらに大会開催都市の東京都は、野田秀樹の発案による「東京キャラバン」や日比野克彦監修の「TURN」といったリーディングプロジェクトに加え、「東京文化プログラム」としてアーツカウンシル東京が4種類の助成事業を用意し、民間企業など様々なセクターと連携しながら、東京2020大会に向けた文化事業を推進している。

このように、東京2020大会を文化から盛り上げよう、ということを念頭に、組織委員会や国、東京都などが呼びかけ、多様な文化事業が全国各地で開催されるようになってきたというのが現在の状況である。残念ながら大きなテーマや統一感が見えてこない点は否めないが、それでも、個々の事業を見ると、オリンピックならではと思える取り組みや主催者の熱意が伝わってくるものも少なくない。

2. 超高齢社会に対する提言「1万人のゴールド・シアター2016」

中でも特に印象に残っているのが、東京2020公認文化オリンピアードのひとつとして実施された埼玉県の「1万人のゴールド・シアター2016」だ。これは、昨年5月に亡くなった演出家蜷川幸雄の企画・原案に基づいた世界でも最大級の群衆劇である。

蜷川さんは、2006年の彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督就任の際に、55歳以上の高齢者劇団として「さいたまゴールド・シアター」を創設した。それは、長い人生経験を積んだ人びとの身体表現や感情表現を舞台に活かそうというプロの劇団で、国内外で精力的な公演活動を展開していた。その実績を下地に、新たに60歳以上の出演者を募集して実施されたのが、この大群衆劇である。残念ながら蜷川さんは本番前に亡くなったが、劇団「はえぎわ」主宰のノゾエ征爾の脚本・演出で、ロミオとジュリエットを題材にした「金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ~」という作品が昨年12月さいたまスーパーアリーナで上演された。

全国各地から1,900人を超える応募があり、実際には60歳から91歳の約1,600名が熱演、約8,000人の観客から大きな拍手をもらった。有名なバルコニーのシーンでは会場の四隅から巨大なバルコニーが出現、複数のジュリエット役とロミオ役のお年寄りが、次々と愛の言葉を交わした。ジュリエットが毒薬を飲んで自殺した後の最後の場面では、ボレロに合わせて出演者全員が行進し巨大な渦を創り出した。

 

1万人のゴールド・シアター

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写真提供:埼玉県 ©田中亜紀

 

世界のどの国も経験したことのない超高齢社会に突入した日本にとって、高齢者の福祉や社会保障は極めて大きな課題である。そうした中、高齢者が様々な芸術活動に参加し、生きる力を獲得したり社会とのつながりを回復したりする取り組みは、国内外で大きな広がりを見せている。「1万人のゴールド・シアター2016」がそうした取り組みの中でも世界最大規模のものであることは間違いない。

まさしく、オリンピックという機会でもなければ実現しなかった企画ではないかと思う。実際、今年1月に、エイジフレンドリー・マンチェスターというスローガンのもと、高齢者の芸術活動で先駆的かつ包括的な取り組みを進めるマンチェスターを取材した際に、写真を見せながらこの話をすると、現地の関係者は一様に目を丸くして驚きの表情を示してくれた。つまりこの事業は、超高齢先進国の日本から世界に向けた提言とも言える。

残念ながら、事業の継続は未定とのことだが、今年9月には彩の国さいたま芸術劇場で「世界ゴールド祭 キックオフ!」と題し、高齢社会における芸術文化の可能性を探るシンポジウムやワークショップが4日間にわたって開催された。東京2020大会に向けて、ぜひ継続、発展を望みたいプログラムである。

ロンドン2012大会で話題になった事業や成功例を見ると、様々な制約を乗り越えて屋外で実施された大規模なもの、アーティストやクリエイターの斬新な発想や実験的なアイディアに基づいたもの、前例にとらわれない挑戦的な取り組みを成功させたもの、圧倒的多数の市民参加を実現したものなどが目に付く。今後は、文化オリンピアードやbeyond 2020の認証を得るだけではなく、子どもたちを含め将来の記憶に残るような文化プログラムの企画・実現が期待される。

3. 地域アーツカウンシルから生活文化創造都市へ

文化プログラムの全国展開を視野に入れたときに、もうひとつ注目しておきたいのが地域アーツカウンシルの動きである。アーツカウンシルとは英国に起源のある芸術文化に対する公的な助成機関のことで、ロンドン2012文化オリンピアードでは、組織委員会、ロンドン市と並んで極めて重要な役割を担った。とりわけ、文化プログラムの全国展開に際しては、ロンドンを含め全国を12の地域に分けて、それぞれにクリエイティブ・プログラマーという専門職が配置されたが、その受け皿となったのが、英国のアーツカウンシルの地域事務所であった。

そのことも参考に、文化庁では2016年度に文化芸術創造拠点形成事業(地域における文化施策推進体制の構築促進)を創設した。これは、東京2020大会において全国で特色ある文化活動が行われ、大会終了後もその成果が継承されるよう、全国の地方公共団体の文化施策推進体制の構築を目的としたもので、実質的には国が地域アーツカウンシルの創設や運営を後押しする補助金となっている。

2016年度には横浜市、新潟市、静岡県、大阪府、大分県が、今年度は岩手県と岡山県がそれぞれ採択され、補助金(原則3年継続)が支給されている。筆者の把握している範囲で、他に地域アーツカウンシルを設置しているのは、東京都、沖縄県、検討中が長野県、高知県などである。目的や事業内容、組織体制等は、設置団体によってまちまちであるが、地域における文化政策や文化事業を担う新たな専門組織として大きな可能性を秘めている[i]

それらの中で、東京2020大会の文化プログラムの推進を中心的な役割に据えているのは、東京都、新潟市、静岡県などで、新潟市の取り組みについては、次号のジャーナルで紹介される予定である。しかし、それ以上に重要なのは2020年以降の展開である。近年のオリンピック・パラリンピック競技大会では、大会の実施以上にそのことによってどのような成果を残し、引き継いでいくか、いわゆるレガシーが重視されている。

文化オリンピアードも同様で、数多くの文化イベントによって一時的に盛り上がっただけでは、真に意味のあるものとはならない。2020年に向けて全国でユニークな文化事業が展開されたとしても、その経験やノウハウが蓄積、継承され、次の展開につながらなければ一過性の華やかな文化イベントに終わってしまう。

東京2020文化オリンピアードには様々なレガシーが期待されるが、筆者が一番重要だと思うのは、人材である。東京2020大会を契機に、全国各地で今までにないような文化事業の企画や実施を経験した人材、とくに若い世代が、2020年以降も地域で活躍し、文化による地域創生や新たな活力創出に取り組んでいくこと、それこそが東京2020大会の最も重要な文化的レガシーとなり得るのではないか──。

その母体となるのが、各地に設置される地域アーツカウンシルだ、と思うのである。それは、生活文化創造都市の形成とも無縁ではないはずだ。文化プログラムには先端的な芸術だけでなく、私たちの暮らしや歴史に根ざした生活文化、お祭りや郷土芸能も含まれている。それらが豊かに息づく生活文化創造都市を実現するためにも、まずは東京2020大会の文化オリンピアードによって、全国各地で特色ある文化事業が推進されることを期待したい。

 

 



[i] 地域アーツカウンシルの状況については、拙稿「地域アーツカウンシル その現状と展望(ニッセイ基礎研所報 Vol.60 June 2016)」を参照されたい。

http://www.nli-research.co.jp/files/topics/53306_ext_18_0.pdf?site=nli

 

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