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生活文化創造都市推進事業
生活文化創造都市ジャーナル_vol.9 徳島県は宣言する「vs東京」
徳島県 地方創生推進課
係長(リーダー)加藤貴弘氏
共通コンセプトの発表
「vs東京(ブイエストウキョウ)」────
平成26年9月、徳島県庁・記者会見室、飯泉知事が発表した、徳島県の政策全般に渡る共通コンセプト。
その瞬間、会場は、大きなどよめきに包まれました。それは、徳島のプロモーションに、敢えて「東京」との対決姿勢を打ち出す「異質」のコンセプトでした。
このコンセプトの反響は凄まじく、発表と同時に公開されたYouTubeのPR動画は、当初から全国ネット各局で取り上げられ、動画の再生ビューはわずか10日で10万回をオーバー、さらに、検索サイトやソーシャルメディアでは、「検索急上昇」「注目ワード」欄の上位に、連日「vs東京」がランキングされました。
その一方で、「東京に戦いを挑む?無理無理」「なぜ戦わなければいけないのか?」などと、TwitterやFacebookでは疑問の声が上がり、様々なご意見が寄せられました。
本県の知名度を向上させ、ブランドイメージ確立のためには、徳島を端的に示す「コンセプト」のようなものが必要と、各方面からの声をいただき、県が具体的な検討をスタートしたのは、平成26年の1月でした。
当時、既に先行して様々なプロモーションを他県が行っている中で、二番煎じに終わり、ほとんど注目を浴びないのではないか、との懸念から、既成概念を破り、新たな感性、斬新な切り口でのコンセプトを打ち立てるべく、庁内各セクションから、20~40代の若手職員14名による知事直轄の特別編成班「タスクフォース」による検討を開始。
また、本県神山町に「サテライト・オフィス」を有し、NHK大河ドラマ「八重の桜」のオープニング制作をはじめ、世界的に活躍する映像作家・菱川勢一(ひしかわせいいち)氏率いる「ドローイング・アンド・マニュアル」社の協力を得て、議論を重ねていきました。
「単なる観光キャンペーン用のキャッチフレーズではなく、県の政策の基礎となる、地域の課題解決の方向性のようなものが出せないか」、「自然や食材を、単に『美しい』、『美味しい』とPRしても響かないのではないか」・・・こうした議論の結果、比較の対象を明確化して、その対象に向けて挑戦する県の姿自体をコンセプトとしてはどうか。
では、その対象となるのは?・・・徳島ならではの特色をPRするために、都市の象徴的な意味合いで「東京」こそふさわしい、との結論に至りました。
ただ、「vs東京」を打ち出すとなれば、先述のネットのような反応が出てくることも、当然想定されました。しかし、角の取れた丸いものでは、誰の心にも響かない、あえてここはエッジを効かせたコンセプトで勝負しよう!
このタスクフォースの情熱に、飯泉知事からは即断即決で「GO」サインが出ました。
東京にはない「徳島ならでは」の価値観を発信することにより、あらゆるものが東京圏に集まる、現状の流れに歯止めを掛け、地方回帰を促進する、地域プロモーションから国全体の流れを創造する。それがこの「vs東京」のコンセプトの狙いでもありました。
ちょうど発表から遡ること1週間、国では「まち・ひと・しごと創生本部」が設立され、まさに、国・地方を挙げた地方創生の取組みが開始されたところであり、本県の掲げた「vs東京」は、この動きと、軌を一にするものとなりました。
翌27年7月、徳島県が全国に先駆け策定した地方創生の総合戦略の名称にも「『vs東京』とくしま回帰総合戦略」と、「vs東京」を冠したところです。
徳島ならではの「価値」=「文化」
それでは、「vs東京」で我々が発信した「徳島ならでは」の、「地域ならでは」の価値とは何でしょうか。その価値を追求していくと、それは「文化」という言葉に行き着くものと考えます。
食、景観、風習、祭礼・・・その「地域」を守ることは、その地域にこれまで連綿と息づいてきた「文化」を守ることになります。今まで息づいてきたそれらを、果たして無くしてしまっても良いのか?
効率性と合理化ということに囚われすぎ、また、都会的暮らしを追い求めるあまり、目を遠ざけてきたものにこそ、実は、「心の拠り所」として、あるいは、「魂の解放区」として、掛け替えのない価値があるのではないか。まさに、我々はその「気づき」を促すために、エッジの効いた「vs東京」という言葉を突きつけたのです。
徳島に住むわたしたちが、守り、伝え、つないできた「徳島ならでは」の「文化」。本県はその中でも、代表する文化資源を「4大モチーフ」に位置づけています。
東京オリ・パラのエンブレムに採用された「藍色」、この「藍」こそ、近世・徳島の反映を築いてきた伝統産業であり、文化資源となるもので、「4大モチーフ」を語る上では、まずこの「藍」について述べなければなりません。
江戸時代、石高(25万石)の倍の豊かさを持ったという徳島(当時の阿波藩)を統治した蜂須賀家。その豊かさを支えたのは当時、その品質の高さで全国を席巻した藍の染料「阿波藍(あわあい)」でした。
徳島の藍は、発酵・熟成させた染料「すくも」として全国に出荷され、日本中を青く染め上げました。「浅葱(あさぎ)」「藍白(あいじろ)」「留紺(とめこん)」と、様々な繊維を色相豊かに染め上げ、世界中に「ジャパンブルー」として呼び倣わされた日本特有の「藍」の文化、その「藍」文化を支えたのが、徳島の藍「阿波藍」だったのです。
この「阿波藍」の富は、徳島に豊かな文化を根付かせます。その代表例が、江戸時代、徳島に発祥し、いまや日本の夏を代表する風物詩となった「阿波おどり」、そして、最盛期には徳島県内の神社境内に、300棟を超える農村舞台が設置され、庶民の娯楽として、文楽とは異なる、独自の発展を遂げた「阿波人形浄瑠璃」です。
そして時代は下って、第一次世界大戦中、徳島は板東(ばんどう)の地(今の鳴門市)に、当時捕虜となったドイツ軍兵士を収容される「板東俘虜(ふりょ)収容所」が建設されます。
ここに収容されたドイツ兵たちは、捕虜でありながら、見張り無く、地域の方と心の通った交流が出来る環境だったとして、今日では「奇跡の収容所」と呼ばれています。
この地域の皆さんとの温かい交流が、ドイツの皆さんの記憶に掛け替えのないものとして遺ることとなり、それが今に続く両国・両地域の友好関係につながっています。
このことは、この地・板東が、「お接待文化」の根付く「四国霊場八十八ヶ所」巡礼の出発地点・一番札所「霊山寺(りょうぜんじ)」の立地する場所であることも、けして無関係ではないでしょう。この収容所で、1918年6月1日、ドイツ兵たちにより披露されたのが「ベートーヴェン・第九」でした。つまり、これがアジア初演の「第九」ということになります。
本県では、全国唯一となる2度の国民文化祭開催を通じて、「阿波藍」「阿波おどり」「阿波人形浄瑠璃」、そして「ベートーヴェン・第九」の4大モチーフを、徳島を代表する文化資源として発信し、未来へつなぐための様々な取組みを展開してきました。
今に息づく「4大モチーフ」
戦後、化学繊維の台頭で生産量が激減した「阿波藍」でしたが、いま、自然志向、エシカル(倫理的)消費といった考え方から、天然藍での染色や、古い衣服の染め直しによる「藍の文化」が見直されています。
サーフボードやアクセサリーなど、繊維以外の、様々な利用方法も提案されています。古き良き文化を、未来へどうつないでいくか、阿波藍の文化に、新しい風が吹き始めました。
最も多くの人形座が活動し、全国最大の人形浄瑠璃の地域である徳島ですが、高齢化により、人形座や太夫部屋、農村舞台を、いかに継続するかが近年の課題となっています。
この点について、国民文化祭開催を契機に、地域文化に対して盛り上がった機運を地域の活性化につなげようと、県内最多の農村舞台を有する那賀町では、町の青年団が中心になって、「丹生谷清流座(にゅうだにせいりゅうざ)」なる新たな人形座が誕生しました。ここにも地域の文化に新たなる風が起きています。
毎年お盆の時期に、徳島県内各所で行われる「阿波おどり」は、「手を挙げて、足を運べば阿波おどり」と言われるように、誰でも参加出来る踊りとして、多くの方に親しまれる一方で、力強い男踊りと華麗な女踊りにより「連」を構成して奥深い踊りの世界を描き出します。
400年の歴史を掛けて、成長を遂げてきた阿波おどりは、最大規模の徳島市の阿波おどりに、毎年120万人もの観客が詰めかけるとともに、高円寺や南越谷など、その踊りの輪は全国的な広がりを見せています。
また、その来場者に外国人の皆さんが増えていくのも近年の特徴です。昨年(平成28年)だけでも、ロシア、シンガポールなど、徳島の踊り子たちが海外公演に招待され、のべ15万人もの方々にご覧いただいており、徳島発祥の阿波おどりは、徳島から世界へ向け、大きな飛躍を遂げているところです。
第九・アジア初演から、記念すべき100年目を迎えた今年(平成30年)は、ドイツとの友好交流の証しとして、徳島の地で、多くの皆さんの歌声が響き渡ることが予定されています。それは、100年前の奇跡、今に根付く文化、その先にある輝ける未来を想っての、まさに「歓喜の歌」となることでしょう。
いま、徳島県では、ドイツと連携し、この板東俘虜収容所での歴史的事象を、ユネスコ「世界の記憶」(世界記憶遺産)へと登録すべく取り組んでいるところです。
「文化」=「地域」を守るために
さて、我々が掲げた「vs東京」は、当時マスコミから「東京に喧嘩を売った」と取り上げられましたが、一方で、これはけして「東京」を敵視するものではありません。
「vs東京」の「vs」、これを漢字一字で表せば「対決」の「対」の字となります。そして、この「対(たい)」の字、実は「対(つい)」とも読めます。
つまり、徳島に限らず、それぞれの地域が、その地域ならではの価値によって、「対決」姿勢で東京と切磋琢磨することで、地方回帰を促していく一方で、東京だけでは対応出来ない問題を、地方が東京と「一対」となって解決していくことで、未来を築いていくこと、それがこの「vs東京」に込めた真の意味なのです。
平成26年12月には、飯泉知事が「対」の字の色紙を持って都庁へ訪問し、当時の舛添都知事との会談を通じて、2020年の東京オリンピック・パラリンピックが「スポーツの祭典」であるとともに、文化の祭典でもあるという点を踏まえ、地方が一丸となって文化面で盛り上げていくといった、東京・地方「一対」の実践策を発信しました。
文化を守ると言っても、どこかの地域の文化が守れれば良い訳ではありません。それぞれの良さを活かしながら、足りないところを補いながら、この国全体を、日本を、守っていく、でなければ、やはり「文化」=「地域」は廃れていくことでしょう。
このような観点に立って、まず徳島から!と覚悟を決めて、「vs東京」を掲げた徳島県として、引き続き、地域ならでは価値を守り、育て、磨き、発信していくことにより、地方創生の実現に向け、さらなる挑戦を続けて参ります。
※画像提供:徳島県