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生活文化創造都市推進事業
生活文化創造都市ジャーナル_vol.3 豊かさを問い直す“創造農村”
川井田祥子(NPO法人都市文化創造機構理事・事務局長
/同志社大学創造経済研究センター特別研究員(PD))
1.“創造農村”誕生の経緯
“創造農村”という概念は、筆者の所属するNPO※が文化庁から受託した「文化芸術創造都市推進事業」を遂行する過程で生まれた。つまり、2008年から創造都市研究者や政策担当者らのネットワークを構築すべくラウンドテーブル会議を毎年開催していたところ、参加していた木曽町(長野県)、中之条町(群馬県)、篠山市(兵庫県)、仙北市(秋田県)などの小規模自治体の首長らから「相互に経験を交流し、情報を共有できるプラットフォームが必要だ」という声が上がったことと、3.11の東日本大震災によって“豊かさ”を問い直すことが必要ではないかという問題意識を共有したことによる。
そこで2011年10月に第1回創造農村ワークショップを仙北市で開催する運びとなった。当日はあいにくの悪天候にも関わらず約100人が集い、文化庁はじめ13自治体の職員らも参加した。当時、文化庁長官であった近藤誠一氏は「創造農村に期待すること」と題する招待講演の中で3.11にふれ、自然への畏敬の念の回復とともに、人間の尊厳や規律、倫理の回復も必要であり、日本の伝統文化や思想にはそのための解決の鍵があるとして、能の『屋島』『敦盛』や、浄土を表現したとされる毛越寺庭園などを例示された。さらに、復興の鍵の一つとなるのは中小都市および農村レベルでの文化芸術による活性化であり、これからは人々が自然と一体となって固有性をもちつつ連帯していくために中小都市・農村の時代となるべきだろうと述べられた。
各地の参加者からは「それぞれのまちが創意工夫を凝らし、自信と誇りをもって活動されている姿に無限の可能性を感じた」「東北の地に身をおき、地域文化の可能性を考える機会を得たことは大きな収穫となった」「自分が暮らしている所にも先人の努力により蓄積された豊穣な伝統文化があり、また、新しい文化も芽生えようとしている。文化の力が日本を元気づける牽引役になるという思いで、自分にできることから始めたい」などの感想が寄せられ、確かな手ごたえが感じられた。
2.創造農村とは
農村とは一般的に、住民の大部分が農業を生業としている村落と理解されているようであるが、宮本憲一(2013)は農村の定義について「簡単なようで難しい」と述べる。なぜなら、日本の場合は第二種兼業農家が多く、専業農家は約20%になっているからである。また、化学肥料や農薬を使用し、機械化した工業的農業となり、商用的農業も多くなっていることから、都市の産業と本質的に異なる性格が少なくなってきているという。
さらに宮本は、「伝統的な農村というのは、高度成長期のなかで消えていった」といい、とくに1980年代後半の国際化と第4次全国総合開発計画によって「農村の相対的衰退とともに中山間地域の農家は兼業が主体となり、農村は混住社会となり、農村の生活も都市的生活様式に一変」し、さらに市町村合併によって「都市だか農村だかわからない自治体ができてしまった」と指摘する。このような変化を引き起こした原因の一つは、上からの資本主義化であり、強制的に自然村の単位をなくして行政村をおき、近代的地方自治制を導入していったことにある。
「どうして日本の我々は、近代化の過程の中で都市と農村をどう共有させるかという基本的な課題について真剣に追求してこなかったのか、この点が、非常に大きな問題点なのではないか」「都市というのは農村が存在することによって維持されて」いると宮本が述べるように、創造都市論の深化のためにも“創造農村”について検討していくことが不可欠だと考えられる。
佐々木雅幸は“創造農村”の定義を試みに、「コミュニティの自治と創造活動に基づいて、豊かな自然の中で固有の文化を育み、創造的農林業を中心とした職人的ものづくりによる自律的な地域経済を備え、グローバルな環境問題や、あるいはローカルな地域社会の課題に対して、創造的問題解決を行えるような『創造の場』に富んだ農村である」としている。
先に紹介した創造農村ワークショップは、2011年以降も各地で毎年開催されており、(第2回:篠山市、第3回:木曽町、第4回:東川町(北海道)、第5回:十日町市(新潟県)、第6回:真庭市(岡山県))、開催地となった自治体の取り組みはいずれもユニークかつ創造的であることを目の当たりにしてきた。それぞれが育んできた文化は長年の生活に根ざしたものであり、それぞれが抱える課題もまたその地域特有のものだからである。
2013年1月に設立された創造都市ネットワーク日本(CCNJ)の加盟自治体の中でも小規模自治体はその存在感を発揮しており、大都市との交流を深めながら、都市と農村とが相互に刺激し合えるような関係を築いていくことが期待される。
3.誇りとアイデンティティの回復を
近年わが国では「地域再生」「地方創生」などの目標が掲げられ、課題解決に向けての様々な施策が展開されている。ポイントは、限界集落などネガティブな言葉で語られることの多かった地域に対して、「本当にそうなのか?」と新たな視点で見つめ直し、住民との協働を促進していくことであろう。
一つの例として篠山市にある丸山集落が挙げられる。2007年時点で集落居住者は5世帯19人、全12軒のうち10軒が茅葺(トタン被覆)屋根の古民家で、うち7軒が空き家となり、景観や生活環境の維持・継承が課題となっていた。解決のために2008年からスタートした「丸山プロジェクト」では、一般社団法人ノオトや兵庫丹波の森協会、建築家らが地元住民と目標の共有化を図りながら話し合いを重ね、築150~160年の古民家を宿泊施設に改修した。その後、集落で設立したNPO法人集落丸山とノオトが共同で有限責任事業組合(LLP)を設立、2009年10月にオーベルジュ「集落丸山」を開業した。
集落丸山は1棟貸しのシステムを採っており、宿泊者は農村の生活体験をしながら様々な気づきを得ることになり、暮らしのツーリズムを具現化したものとなっている。「何もない所」と思われていた集落が、視点を変えると「都会が捨ててきた大切なもののある所」となるのだ。その後、丹波県民局と連携して都市部の若い女性を対象に農作物の植え付けや農地管理、収穫祭などを通して地域住民と交流するグリーンツーリズムも実施している。
集落丸山代表の佐古田直實は、「最初はとても無理だ、行き先のわからない船に乗るようなものだと思っていたが、何度も話し合いを重ねるうちに信頼関係もできて、やってみようという気になった。実際に運営を始めると、各地から多くの方々が来てくださって自分たちの視野も広がり、『もっと勉強して、よりよいサービスを提供できるようにならなければ』と思うようになった」と述べる。限界集落と言われた所で地域内外の交流が起こり、そこに暮らす人々が育んできた生活文化の価値を再認識するとともに、誇りやアイデンティティを回復させながら意欲を引き出してきたことは、諸課題の解決のための大きな一歩だといえよう。
これまでは「近代的な都市的生活=豊かさ」だと考えられてきたようであるが、グローバリゼーションの進展によって経済性や効率性を重視するあまり生じてきた“息苦しさ”のようなものを感じる人々が増え、「半農半X」というライフスタイルが注目されたりしている。豊かさとは何かを問い直す人々が増えているからであろう。
地域の人々が誇りと尊厳をもって自らの暮らしを営み、それぞれの生活文化を伝承しながら地域の多様性を保持することが日本全体の豊かさにつながることを創造農村の取り組みは示唆している。
<参考文献>
佐々木雅幸・川井田祥子・萩原雅也編著『創造農村:過疎をクリエイティブに生きる戦略』学芸出版社、2014年
宮本憲一「都市と農村の対立と融合――維持可能な社会への再生は可能か」寺西俊一・石田信隆編著『農林水産業の未来をひらく』中央経済社、2013年、pp.3-27
<参考URL>
創造都市ネットワーク日本(CCNJ) http://ccn-j.net/
*うち、参加団体一覧 http://ccn-j.net/network/list.html
<写真提供>
川井田祥子氏