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授賞案件
日本クリエイション大賞2016 授賞案件
今年度選考について
4月に震度7の地震が2度も熊本地方を襲い、10月には鳥取地方で震度6弱、暮れも押し詰まった12月28日にも茨城県で震度6弱と地震が多発した2016年。イギリスが国民投票でEU離脱を選び、アメリカではドナルド・トランプ氏が次期大統領に選ばれました。リオ五輪での日本選手の活躍など明るいニュースもありましたが、世界が次第に内向きになっていると感じられる年でもありました。
選考委員会では、このなんとなく世界を覆っている閉塞感を打破するような驚きのある案件が評価され、議論の対象となりました。また、若い力への期待も大きく、応援していくのも「日本クリエイション大賞」の役割ではないかという意見も出され、次年度以降も引き続き候補としてウォッチしていこうとされた案件もありました。
大賞に選ばれた株式会社PEZY Computingの齊藤元章氏は、ベンチャーでありながらスーパーコンピューターの消費電力性能部門の世界ランキング「Green500」で第1位を獲得し、世界を驚かせました。齊藤氏は、今、さらに高性能なAIと連携させた次世代スーパーコンピューターの開発に取り組んでおり、間違いなく次代の扉を開ける一人と世界から注目されています。まさしく“日本クリエイション大賞”にふさわしいと高く評価されました。
セイコーエプソン株式会社の使用済みの紙を原料とする、世界初の、大量の水を使わずに新たな紙を生産できる乾式オフィス製紙機には、選考委員も驚きました。コピー機と使用済みの紙を原料とする製紙機がオフィスに当たり前のように並ぶ時代が、もう目の前に来ていることが期待をもって受けとめられ、<技術革新創造賞>の受賞となりました。
一方、<食文化貢献賞>を受賞した「カニカマ製造装置」の株式会社ヤナギヤは、2016年に創業100周年を迎えた老舗です。日本独自の食文化であった“カニカマ”が、今では世界で愛される食品となっていること自体がうれしい驚きであり、フランス、アメリカ、イタリアなど世界18カ国で、各国独自の“カニカマ”をつくるために同社の製造装置が使われていることこそ、まさに“クリエイション”だとされました。
単身奮闘して「あきた舞妓」を復活させた水野千夏さんは、まだ27歳です。舞妓や芸妓文化を復活させたり、その伝統を保ったりしている地域はもちろんほかにもありますが、水野さんが弱冠25歳で、「あきた舞妓」の事業会社を設立し、舞妓を復活させたということに驚きと好感を得て、<地域文化応援賞>を受賞しました。
今年度は、事務局推薦も含め、115件の候補案件の中から、運営委員により一旦整理された39案件を選考委員会に提案。2回の選考委員会を経て、2017年1月の第3回選考委員会で、激論の末、上記の大賞1件および技術革新創造賞、食文化貢献賞、地域文化応援賞が決定しました。
大 賞
“次世代スーパーコンピューター”の開発で社会を変革する
齊藤 元章氏 株式会社PEZY Computing 代表取締役社長
齊藤元章氏は、1997年、アメリカのシリコンバレーで医療系システムおよび次世代診断装置を開発する法人を創業し、世界の病院に8000以上のシステムを納入。2003年にはインテルのアンドリュー・グローブ会長とクレイグ・バレット社長兼CEO(当時)の推薦で、日本人で初めて米国コンピューター業界栄誉賞「Computer World Honors」を医療部門で受賞した。
2011年、東日本大震災を機に、日本に貢献したいという思いを抱いて帰国。日本には自然科学や産業分野にたくさんの優秀な人材がいて、彼らに次世代のスーパーコンピューターという道具をわたすことができれば、新しい研究や開発が進み、広範囲での貢献ができると考え、2014年、わずか7カ月で最初のスーパーコンピューターを開発し、2世代目を4カ月で完成させた。この開発には、10社の日本の中小企業に協力を依頼したが、要求した品質をはるかに上回るものが期日通りに納品され、それが最初から動作したことで日本のものづくりの素晴らしさを改めて認識したという。
このとき開発したスーパーコンピューター3台は、2015年のスーパーコンピューターの消費電力性能部門の世界ランキング「Green500」で1位から3位を独占し、「Shoubu(菖蒲)」は2016年6月まで1位を3度獲得する。
今、齊藤氏が取り組んでいるのは、現在よりも1000倍程度高速なAIエンジンの開発と、それと連携させる次世代スーパーコンピューターの開発。この汎用人工知能の実現によって、私たち人類が抱えている「エネルギー、食糧、医療・生命科学、国家安全保障・防衛、自然災害・環境破壊」といった解決困難とされている問題の解決を目指している。
超高性能蓄電池などの新エネルギー技術が開発されれば、エネルギーはもっと手軽に手に入るようになり、植物工場などでのエネルギー問題も解消され、天候や災害などに左右されず、安定して大量の食糧を作り出すことが可能になる。さらに人間には不可能な膨大なデータの解析によって、最適な治療法が見つけ出され、医療が飛躍的に進歩する。すべての産業で生産の自動化やロボット化が進み、生産効率が圧倒的に高まり、人間が生活のために働く必要がなくなる社会。
齊藤氏が開発する次世代スーパーコンピューターによってもたらされる未来社会は、私たちの生活文化や社会全体の仕組みを根底から変えてしまうものかもしれない。だが、それは決して暗いものではなく、齊藤氏が開けるのは、間違いなく人類が踏み出す新たな未来への扉であるに違いない。
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技術革新創造賞
大量の水を使わず※、使用済みの紙をオフィスで新たな紙に
※機器内の湿度を保つために少量の水を使用する。
セイコーエプソン株式会社
セイコーエプソン株式会社が2015年12月に開発発表した「PaperLab(ペーパーラボ)A-8000」は、使用済みの紙を原料とする、世界初の乾式のオフィス製紙機である。
一般的な製紙方法で必要とされている大量の水を使わないため、給排水工事は不要で、オフィスのバックヤードなどに設置することができる。
同社独自の新開発技術「ドライファイバーテクノロジー」の3つの技術「繊維化」「結合」「成形」により、使用済みの紙から新たな紙を生み出す。「繊維化」は、機械的衝撃で使用済みの紙を細長い繊維に変え、文書に書かれた情報を一瞬で完全に抹消する。機密文書を外部に持ち出すことなく処理できるため、機密情報の漏えいを防ぐことができる。
繊維化された使用済みの紙は、結合素材「ペーパープラス」を使って繊維を「結合」し、それを加圧して「成形」し、新たな紙に生まれ変わらせる。白色度の向上や色付け、A3、A4サイズの紙、紙の厚さの変更もペーパーラボ内で加工できる。使用済みの紙を投入してから、約3分で1枚目の新たな紙を生産し、1時間当たりA4用紙なら約720枚生産できるという。
2011年、碓井稔社長の「紙を気がねなく使っていただく環境をお客様にご提供できないか」という思いから始まったペーパーラボの開発は、技術開発に精通している市川和弘部長を中心に、たった二人のプロジェクトとして始まった。社内のさまざまな分野からメンバーを集め、社内にある技術をフル活用して、4年の歳月をかけて完成した。実用化への見通しが立った後も、開発機を社内外で実際に使用しながら1年間にわたりブラッシュアップして、ノウハウを積み上げてきた。
大量の水を使わないことや、紙の輸送にかかるCO2排出量の軽減によって、環境負荷を低減し、オフィス内で紙の生産やアップサイクルを可能にできる。ペーパーラボは、小さなサイクルで循環社会を活性化し、紙ならではの豊かなコミュニケーションを生みだす仕組みとなる。
開発発表以来、機密文書の適切な処理や、環境問題に取り組んでいる企業、自治体などの高い関心を呼び、2016年12月から順次販売されている。
食文化貢献賞
世界シェア7割を誇る『カニカマ製造装置』
株式会社ヤナギヤ
株式会社ヤナギヤは、1916年(大正5年)、山口県宇部市で柳屋蒲鉾店として産声を上げた。昭和に入り創業者である柳屋元助氏が蒲鉾製造用の撹拌擂潰機(かくはんらいかいき)の専売特許を取得し、蒲鉾製造の中でも最も重労働であった「練り作業」の機械化に成功したことで、現在の機械メーカーとしての礎を築いた。
2016年、創業100周年を迎えた同社だが、100年間順調に業績を伸ばしてきたわけではない。二代目社長幸雄氏も魚肉ソーセージの大量生産に対応する大型擂潰機の開発をはじめ、化学業務用の撹拌機の開発など業務を拡大していったが、次第に経営が悪化し、1975年三代目の社長に現在の芳雄氏が24歳で就任したときには、経営の危機を迎えていたという。
芳雄氏は、若手社員の登用などによって社内の空気を変えるとともに、当時日本の食卓に普及し始めていた「カニカマ」に着目。製造工程が複雑な「カニカマ製造装置」の開発に1979年に成功し、次いで1982年、その原料処理装置である高速真空カッター「ボールカッター」を開発した。これによって原料処理から一貫した生産ラインの国内外への販売で経営危機を脱した。
カニカマは、日本での消費量は年間5万トンだが、世界では50万トンとも言われ、その生産国も5大陸で21カ国を数える(現在は20カ国)。世界一、二を争うカニカマ消費国であるフランスやアメリカをはじめとした19カ国(現在は18カ国)で、同社の「カニカマ製造装置」が使われ、世界シェアはなんと7割を誇る。
同社は、日本の伝統食品である“蒲鉾”を“カニカマ”として世界の食卓に広め、その国際的な地位向上と普及に貢献してきた。
カニカマには、おなじみのスティックタイプの縦繊維状の他に斜め繊維、短繊維の連結、V型斜短繊維などさまざまな形態と食感が生まれ、進化し続けている。さらに、各国の食生活・食文化に応じた生産方法や原料調合に対応し、食感やフレーバーなど製品の多様化を実現する装置をつくることによって、同社は、今や日本だけでなく世界の食文化にとってなくてはならない企業となっている。
地域文化応援賞
『あきた舞妓』でまちを活性化する
水野 千夏氏 株式会社せん 代表取締役
かつては花街が日本全国にあり、芸妓による御座敷文化がまちを彩っていた。秋田市にも、戦前まで川反(かわばた)地区の歓楽街に多くの人々が集まり、その中心では約200名とも言われる「川反芸者」が活躍していた。『秋田美人』という言葉は、この川反芸者から生まれたとも言われている。
東京から秋田に戻り、市内の企画PR会社で働いていた水野千夏さんは、どことなく活気に乏しい秋田のまちを活性化するには、秋田の魅力を発信し、人が集まる仕組みを作らなければと秋田の歴史や文化を調べるうちに、「川反芸者」のことを知る。以前から『秋田美人』を見える化したいと考えていた水野さんは、これだと思い、川反芸者を「あきた舞妓」の名称で復活させようと地元経済界などに協力を要請するとともに、山形、新潟、博多など芸者文化を復活させた他県の組織を訪れて学び、2014年4月、弱冠25歳で事業会社「せん」を設立した。
以後、「秋田の良さを広めたい」とせんに入社し、見習い生としての修業を終えた舞妓1期生3名と「会える秋田美人」をキャッチフレーズに、精力的に活動。今ではイベントや宴会などに年300回ほど舞妓を派遣している。
さらに2016年6月、あきた舞妓がお茶や踊りを披露する場として「あきた文化産業施設 松下」をオープンさせた。「会える秋田美人」を具現化するためには、もっと気軽に舞妓に会える拠点がどうしても必要だと考えたからだ。
「松下」は、市内の「千秋公園」内にある2000年に廃業した元料亭の建物をリノベーションしたもので、その資金の一部をクラウドファンディングで調達した。
「松下」には、72畳の大広間「舞妓劇場」があり、舞妓の踊りを手ごろな価格で楽しむことができる。秋田県内全37蔵の地酒を揃えた「松下酒房」や喫茶施設「松下茶寮」があり、地域の食文化との出会いの場ともなっている。
舞妓2期生もデビューし、「あきた舞妓」でまちに賑わいを取り戻したいという水野さんの思いは、実現しつつある。