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授賞案件
日本クリエイション大賞2013 授賞案件
大賞
二つのノーベル賞『ニュートリノ』と『ヒッグス粒子』発見に貢献
浜松ホトニクス株式会社
日本クリエイション賞
世界で初めて完全養殖に成功したクロマグロをはじめ、“近大卒”の魚をブランド化
近畿大学水産研究所 殿
「ふゆみずたんぼ」で津波被災地の田んぼの復興を実現
特定非営利活動法人 田んぼ 殿
世界の潮流に伍し、日本のワイナリーの新しい時代を切り拓く
ヴィラデストガーデンファーム アンド ワイナリー 殿
2013年度選考について
今年度は、「日本クリエイション大賞」となってから10回目の開催となりました。事務局推薦も含め124件の候補案件の中から、運営委員により一旦整理された46案件を10月と11月の選考委員会に上程、委員会での熱心な議論の結果も踏まえ、候補案件を絞り込むためのアンケートを実施。1票以上獲得した30案件を対象に2014年1月、3回目の選考委員会を行い、大賞1件、日本クリエイション賞3件が選ばれました。
アンケートでは上位にありながら、最後の議論で選考からもれた案件もありました。高い技術力を認めながらも、確立されたばかりで、目に見える成果が現れるまで待とうとされた案件もありました。誰でも知っている話題性の高いものより、あまり知られていなくても、非常にクリエイティブなものを選考するべきという意見があり、またよく知られている案件でも、これまでとは全く違う角度でみると、こんなにクリエイティブだと紹介できる案件を選ぶべきという意見もありました。
例年同様の激論の末、入賞4件を選ぶ投票と、その中から大賞1件を選ぶ2度の投票が行われ、2回のノーベル賞受賞に貢献した高い技術力が評価された浜松ホトニクスが大賞となりました。日本クリエイション賞受賞の3件は、いずれも活動の独自性と、長い年月努力を続けてきた成果があらわれていることが今年度の受賞につながりました。
今回選考された案件は、いずれも次代を切り拓くスケール感やパワーを感じさせると同時に、時代性、革新性、文化性、国際性、社会性の5つの選考基準に該当するものとなりました。
日本クリエイション大賞
二つのノーベル賞『ニュートリノ』と『ヒッグス粒子』発見に貢献
浜松ホトニクス株式会社
2002年に小柴昌俊教授が受賞した「ニュートリノの発見」に続き、2013年受賞の「ヒッグス粒子の発見」という2つのノーベル賞に多大な貢献をしたのが浜松ホトニクスの光技術である。
2012年に質量の起源とされる素粒子「ヒッグス粒子」を発見した欧州合同原子核研究機関( C E R N )の正面玄関には「H a m a m a t s u 」の名前が刻まれたプレートが飾られている。CERNには多くの企業が協力しているが、他の企業の名前はない。
浜松ホトニクスの貢献の大きさを示している。
浜松ホトニクスの主力製品である光センサーには大きく分けて、真空管を使う「光電子増倍管」と、半導体を使う「光半導体素子」の2種類があるが、「ニュートリノの発見」に使われたのは同社の光電子増倍管である。
1979年に小柴教授の依頼で始まった直径20インチの光電子増倍管の開発。当時は5インチが主力でやっと8インチの開発に取り組み始めたばかりだったが、小柴教授の熱意に打たれた晝馬輝夫社長(当時)は「とにかくやってみろ」と試作を開始した。1982年に岐阜県神岡町の神岡鉱山の地中に設けられた観測装置「カミオカンデ」に、世界最大の20インチの光電子増倍管が設置され、1987年に超新星のニュートリノを観測した。これが素粒子によって宇宙を探る「ニュートリノ天文学」の幕開けとなり、2002年のノーベル賞へとつながったのである。
一方、「ヒッグス粒子の発見」には同社の光半導体素子と光電子増倍管が使われた。CERNは、全周27kmという山手線と同じくらいの大きさの超大型加速器で陽子を加速し、陽子同士を正面衝突させて出てくる粒子を検出することによって、ヒッグス粒子を発見した。浜松ホトニクスの技術は、その粒子が、どちらの方向に飛んだかを調べる「飛跡検出器」と、エネルギーはどのくらいだったかという「カロリメーター」に使われた。
高エネルギー加速器実験に使う光センサーは、過酷な環境の中で高感度が求められ、最終的に浜松ホトニクス製が採用された。CERNの依頼で開発に取り組むことになった同社だが、面積の大きい飛跡検出用光半導体素子を、ばらつきのないように生産するの
は困難を極め、3年かけてようやく完成させた。
1953年に創業した浜松ホトニクスは2013年に60周年を迎えた。晝馬輝夫会長が掲げた「人類未知未踏の追求」というモットーに基づき、ノーベル賞級の研究者から要求される光センサーの開発に取り組む一方、それらの開発過程などで得た新しい知識を医療や産業分野向けの製品に生かし、高付加価値な光関連製品を生み出し続けている。
世界で初めて完全養殖に成功したクロマグロをはじめ、“近大卒”の魚をブランド化
近畿大学水産研究所
世界的に水産資源の枯渇が危惧されている現在、天然資源に頼らない完全養殖で世界の注目を集めているのが近畿大学水産研究所である。同研究所は1948(昭和23)年、「海を耕し、海産物を生産しなければ日本の未来はない」との理念の基、和歌山県白浜町に誕生した。敗戦直後の日本の漁獲高の大幅な落ち込みを見た、近畿大学初代総長の世耕弘一氏が、「海の畑」をつくろうと栽培漁業を唱え、その実践の場として開場したのだ。
魚の養殖は、初めての試みであっただけに失敗の連続であったが、総長をはじめとした研究者の努力と研究の成果によってハマチの養殖に成功。そして1965年には、世界で初めてヒラメの人工ふ化による種苗生産を実現。2002年には、1970年の研究着手以来32年もの歳月をかけて、クロマグロの完全養殖に世界で初めて成功し、2004年には初出荷した。同研究所では、現在までに18魚種で人工ふ化による世界初の種苗生産に成功。世界が認める水産増殖のパイオニアとなった。
これにより天然魚の乱獲による水産資源の枯渇を防ぐとともに、希少種の大量生産をも可能にした。天然の稚魚を捕獲して育てる養殖では、稚魚の乱獲が進めばやがて養殖魚も減少する。われわれ日本人が、いや世界がクロマグロなど絶滅が危惧される魚を食べ続けるには、天然資源に頼らず、人工ふ化した稚魚を親魚まで育て、その親魚から採卵し、人工ふ化させる完全養殖以外に道はない。
完全養殖された「近大マグロ」は、餌の改良による肉質の改善も重ね、その味も天然マグロと肩を並べるようになった。昨年大阪と東京銀座にオープンした近大の養殖魚専門料理店「近大卒の魚と紀州の恵み 近畿大学水産研究所」は、予約が取れない人気店だ。ここで提供される養殖魚には、卒業日(出荷日)、入学日(卵がふ化した日)、学び舎(養殖場)、給食(えさ)など成育歴がわかる「卒業証書」がついている。完全養殖でなければつけられないこのタグが、天然物にはない新たな価値を保証し、“近大卒”の魚は養殖魚の中で「近大ブランド」としての地位を確立した。
「ふゆみずたんぼ」で津波被災地の田んぼの復興を実現
特定非営利活動法人 田んぼ
通常乾田とする冬の間も田に水を張り、田んぼに生きる原生生物やイトミミズ、水鳥などの多様な生き物の力を借りて無農薬、無化学肥料で米づくりを行う農法「ふゆみずたんぼ」。生態系の力を借りて、水や土の浄化・再生によって田んぼの機能を改善する手法だ。
特定非営利活動法人田んぼは、2006年、「ふゆみずたんぼ」の普及を目指す岩渕成紀氏によって、宮崎県大崎市に誕生した。日本有数のマガンの越冬地として知られる同市の蕪栗沼、コウノトリの野生復帰に成功した兵庫県の豊岡市、トキの野生復帰に取り組む新潟県佐渡市では、岩渕氏の指導で「ふゆみずたんぼ」が実践され、野鳥と人が共生する米づくりが行われてきた。その米はブランド米として販売されている。
田の冬期湛水そのものは、1684(貞享元)年に書かれた「会津農書」に、「田冬水」と表現され、冬の間に有機物の多い水を田にかけると菌類や泥に棲息する生物たちが活性化して農業の生産性が高まり、抑草効果もあることが知られていた。さらに、東北地方には「津波の後の田畑の収穫は良くなる」という言い伝えもあった。
東日本大震災後、宮城県気仙沼市大谷、塩竈市寒風沢島、南三陸町、岩手県陸前高田市などの津波被害を受けた水田で、全国のボランティアの手も借りて、ガレキを撤去し、畦を修復、田に水を入れて「ふゆみずたんぼ」を実践し、抑塩、脱塩に成功。いずれも例年以上の豊作となり、「津波の後の田畑の収穫は良くなる」という言い伝えを裏付ける結果となった。気仙沼市大谷の土壌調査から、津波によって堆積した層が最も生物多様性が高いことも示されている。
南三陸町志津川の津波被災地の田で収穫された米は、「福幸米」として販売され、6次産業化につなげた。
NPO法人田んぼでは、現在も津波被害を受けた水田再生の取り組みを支援。毎月、定期的にモニタリング調査を行い、「ふゆみずたんぼ」に抑塩や脱塩効果があることも実証。首都圏や東北各地のボランティアと被災地の田とをつなぐ役割も果たしている。
世界の潮流に伍し、日本のワイナリーの新しい時代を切り拓く
ヴィラデストガーデンファーム アンド ワイナリー
2013年6月、横浜市で開催されたアフリカ開発会議の公式晩餐会で、供されたワイン「ピノ・ノワール2011」は、長野県東御市のブティック・ワイナリー「ヴィラデストガーデンファーム アンド ワイナリー」で醸造されたものだ。
同ワイナリーは、エッセイストで画家の玉村豊男氏が、1991年、夫人とともに東御市に移り住み、背丈を超える雑草が生い茂る荒れ地を開墾し、西洋野菜とブドウの苗木を植えたことから始まった。当初は自分達が飲むために委託醸造していたワインだが、醸造免許を自ら取得して2003年にワイナリーを開設。それから10年、現在では、年間2万本のワインがつくられ、数々の国産ワインコンクールで受賞歴を重ねている。
ここでつくられるワインは、自社畑と長野県内で生産されるブドウを100%使用。日本では数少ない、原料ブドウ園がある場所に設けられた醸造所で醸造する自園自醸ワイナリーである。2004年に敷地内に開設されたカフェでは、地元野菜や信州サーモンなど、地元特産の食材をふんだんに使った食事とワインを味わうこともできる。
ブドウ畑を眺めながら、そのブドウでつくられたワインを飲み、野菜畑やハーブ園を眺めながら、そこで採れた新鮮な野菜やハーブを使った料理を楽しむ。旧来の日本の農村のイメージにはない、玉村夫妻の感性とこだわりが隅々にまで行き届いた個性的なファームが、長野県から世界に発信する“田園リゾート”として、自宅の庭に創出されたのだ。
玉村氏は、2013年6月に発足した「信州ワインバレー構想推進協議会」の会長も務めている。これは長野県が、10年がかりで推進しようとしているNAGANO WINEのブランド化とワイン産業のさらなる発展を目指す事業。玉村氏の願いは、信州から優れた食文化を世界に向けて発信し、ひとつでも多くのワイナリーやワインを楽しめる場所をつくり、地域の人と遠方から訪れる人々の交流を深めて地域の活性化をはかること。新たにワインづくりに参入したいという人々の良き相談相手にもなっている。
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