授賞案件

日本クリエイション大賞2005 授賞案件

日本クリエィション大賞2005 地域創造賞

21世紀型市民スポーツ文化の創造

社団法人 日本プロサッカーリーグ 殿

Jリーグの名で、多くの市民から愛されている日本プロサッカーリーグ。地域に根ざし、スポーツ振興で人々の生活を豊かにするという当初からの理念は、発足から10年以上の歳月を経た今、着実に実を結びはじめている。

しかし、その道のりは、決して平坦なものではなかった。

Jリーグの発足以前の日本サッカーを取り巻く環境は、およそ恵まれたものではなく、サッカーの専用競技場はほとんど無く、選手はほぼ全員アマチュアで、1試合の観客動員数も数千人足らずという状況。そのため日本サッカーの競技レベルは世界はもとよりアジアの中でも、トップグループから大きく引き離されていた。

やがて、プロ化を期待する声が高まり、1993年にJリーグは10クラブの参加で開幕。それまでプロスポーツと言えば、ほぼプロ野球と大相撲のみであった日本に、プロサッカーの誕生は、大きな衝撃と歓喜をもって受け入れられた。当初から掲げていたのが、企業に依存する経営ではなく、地域住民や自治体と連携したクラブ経営を行うこと。独自の姿勢に人々は熱い視線を送り、サッカーの認知度は急速に高まり、Jリーガーは一躍スター選手として知られるようにもなった。

その後、当初のブームが去り観客動員数の減少が見られる中、Jリーグは原点を見つめるべく、1996年「Jリーグ百年構想」を発表する。地域に根ざしたスポーツクラブを核とした、新しいスポーツ文化の発展を目指すという壮大な構想である。具体的には、「市民や社会との触れあいを大切にする」、「サッカー以外の地域スポーツの振興」、「世界に通用する選手育成システムの確立」、「校庭やグラウンドの芝生化」、など幅広い。Jリーグは、『誰もが気軽に楽しめるスポーツ環境』の整備によって、スポーツ文化を育んでいきたいと考えている。活動の核となるクラブ組織を増やす土壌として、1・2部制も導入。多くのJクラブが誕生することとなり2006年現在、クラブ数はJ1で18クラブ、J2で13クラブの計31クラブとなった。

Jリーグでは活動地域のことを、独占的商業地を意味する「フランチャイズ」ではなく、「ホームタウン」と呼ぶ。自分の街にはサッカークラブがあるという誇りと自負が、現在のJリーグ人気を支えている。観客動員数は徐々に伸び、今では一試合で4万人を越えることもあり、ファン層の裾野は着実に広がっている。 「百年構想」を軸にした地道な社会貢献活動の功績も大きい。選手会会長の中山雅史選手は「選手がプロとしてプレーできるのは、サポーターと社会のおかげ」と、その重要性を語り、各クラブ単位でも、定期的にボランティアイベントや募金活動などを実施し、選手達も意欲的に参加している。

大都市中心のスポーツではなく、地方都市や地域を軸にし、紆余曲折を経ながらも発足からの理念を浸透させてきたJリーグ。まさに21世紀型の市民スポーツ文化を創造したと言えるだろう。そのキャッチフレーズ「スポーツで、もっと、幸せな国へ」が描く未来に、期待したい。

 

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日本クリエィション大賞2005 まちづくり特別賞

 ビジネス街を彩りのある都市文化の空間に

大手町・丸の内・有楽町地区再開発計画推進協議会 殿

東京の中心に位置し、長年、日本の経済活動の拠点として発展してきた「大手町・丸の内・有楽町」、略して「大丸有」地区。国内外の主要な企業が集積し、スーツ姿のビジネスマンが行き交い、10年前までは土日、ましてや年末年始にはひと気が無くなり閑散とする、色で言うならモノトーンの典型的なビジネス街であった。

「丸の内」の名は世界のビジネスマンに知れわたり、歴史と風格を持つ街であったことは間違いない。ただ、ビジネスのみの無機質な街と感じられていたのも事実であろう。

この「大丸有」地区がここ数年で大きく変わってきた。

単にオフィスビルが建て替えられて、綺麗なビルが増えたというだけではない。人の流れが、そして街の空気が、街の色が見事に変わったのである。美しく整備された通り沿いにはファッショナブルな世界の一流ブランドの店舗が軒を並べ、無料の丸ノ内シャトルが巡回。オープンカフェが催され、花で彩られた通りの街路樹に表示されたQRコードに携帯電話をかざせばユビキタスミュージアムから街の様々な情報を取り込める。休日も街は人で溢れていて、1999年に始まった東京ミレナリオには毎年200万人以上の人々が訪れ、その美しさに感動した。ここで働く人々にとっても、訪れる人々にとっても、魅力的で美しい都市文化を感じさせる空間になったのである。

この変化を生み出し、支える核となったのが「大手町・丸の内・有楽町地区再開発計画推進協議会」である。

「大丸有」地区の地権者が集まり、21世紀に向かっての街づくりを考えるため1988年に設立。以後、新時代に対応する新たな都市像の再構築、すなわち「丸の内らしさ」の形成を目指し、まちづくりに取り組んだ。その理念は、

・ 新たな都市景観の形成

・ 国際業務センターの形成

・ 快適な都市空間の形成

・ 総合的・一体的街づくり

・ 社会貢献

・ 公民協調の街づくり

・ 街づくり推進システムの構築

であり、1994年に「大手町・丸の内・有楽町地区街づくり基本協定」として締結された。

ハード面の美しく機能的な景観も協議会を通じ地権者が一体となり公民協調の形で取り組んだが故に可能となったものである。またソフト面では協議会自体の活動に加え、「NPO法人大丸有エリアマネジメント協会」、「丸の内元気文化プロジェクト」、「東京駅周辺防災隣組」「大丸有駐車協議会」など、協議会の活動をベースに新たに生まれた活動主体がそれぞれに、この街の良さ、個性を最大限に生かし、その魅力をブラッシュアップする、斬新な試みを次から次へと展開した。協議会会員単独でも、例えば、あの丸の内に託児所を作り、送迎の便宜の為に駐車場を月1万円で貸す、などという事業を街の価値創造の視点から行ない、順番待ちの大人気となっている。そしてそれらの活動は憎たらしい程に、全てハイクオリティ。さすが丸の内、さすが大丸有なのである。

丸の内が「楽しむ」場所、丸の内に「遊びに行く」という感覚を10年前に持っていた人はいただろうか?

国際的なビジネスセンターでありながら、快適で、潤いがあり、そこに行けば何かに出会えそうな予感のする美しい街。「日本の顔」に相応しい、そんな理想的な都市空間を現実のものにした、これらの数多くの活動は、この街を愛し、誇りに思う人々によって支えられ、そしてまだまだ続いていくのである。

 

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日本クリエィション大賞2005 環境技術賞

世界の水問題に貢献する分離膜技術の開発

東レ株式会社 殿

現在、世界で絶対的な水不足に直面している国は31ヶ国。安全な飲料水が得られない人は11億人、衛生設備のない人は24億人いるという。水は地球上の限られた資源であり、自然条件の変化のみならず、人口増加や経済成長も水不足の要因となりやすい。中東や北アフリカに加え、今後は中国、インド、アメリカ、欧州でも水不足が深刻化するといわれている。

東レ株式会社は1968年に膜事業の研究・開発に着手。以来、水資源を有効に利用するための技術開発にチャレンジし続けてきた。今日では、水不足地域の淡水化事業、下水再生事業をになう企業として世界各地でプロジェクトを手がけている。たとえば、大型海水淡水化逆浸透膜プラントにおいてはトリニダード&トバコ、シンガポール、サウジアラビア等で、下水再生・再利用プラントにおいてはクェート、シンガポール等でその膜技術が採用されている。

同社は逆浸透膜、ナノろ過膜、限外ろ過膜、精密ろ過膜といった高機能液体分離膜分野において、いずれも優れた競争力をもつ技術を有するだけでなく、世界でも数少ないフルラインの水処理用分離膜を有する総合膜メーカーとしても今後の活躍の場の広がりが期待されている。

水問題は21世紀の地球的課題である。費用対効果の視点から、この技術分野での継続的研究開発を躊躇する企業が多い中で、敢然とさらなる技術進歩に挑み続けるその姿勢こそ真のグローバル企業といえよう。

 

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日本クリエィション大賞2005 企業奨励賞

3D技術による新たなコミュニケーション領域を世界に発信する若き起業家

株式会社ヤッパ 代表取締役社長 伊藤 正裕 殿

ITの普及は、世界中で、発想と行動力に満ちた若きリーダーを輩出している。2000年に、17歳にして株式会社ヤッパを起業した伊藤正裕社長も、その一人である。社名は、「やっぱり」の「やっぱ」からとった。「やっぱ、おもしろい」「やっぱ、やってみよう」「やっぱ、いい」という、今を体現する、エネルギーとスピードを込めた名前である。3D技術を駆使したコンテンツを提供する会社として、ホームページ上で、商品の立体画像を360度回転させて見ることが出来るウエブカタログなどを制作している。

IT業界は、技術の普及とともに競争も激化する、厳しい世界である。その中で業界ナンバーワンを目指し、あくなき挑戦を続け、その業績は順調に伸びている。

伊藤社長が起業したきっかけは、コンビニに通っていたことに遡るという。大阪のインターナショナルスクールに通っていた当時、よく訪れていたコンビニで、導入されているPOSシステムを目にし、これを携帯電話のコンテンツ開発に活用できないかと思い立つ。思い立ったら、すぐに行動。早くから息子に自立を説いてきた両親は、大学に進学するか、かわりにその学費を資本金に起業するかを選択させた。こうして、若き起業家は歩み出す。ところが実績のない企業に対する社会の壁は想像以上に厚く、信用の低さから、取引する企業はついに現れず、起業早々にして、アイデアは暗礁に乗り上げてしまった。

窮地に立たされた伊藤社長はしかし「たとえ自分に信用がなくとも、そこに独自性があれば打破できるはず」という信念のもとに、次なるアイデアとして、3D技術に着目。携帯電話のディスプレイやインターネットのブラウザ上で、画像を360度回転させて見ることができる技術である。世界中の3D技術を調べた結果、イスラエルの3Diというベンチャー企業が、優れた技術を有していること、しかしながら商業化には失敗している事実をつかんだ。早速「今は資金がないが、1年後に数千万円のロイヤリティを支払う」という強気の交渉を始め、独占契約を締結。やがては、同社の買収をも実現させてしまうのである。

もちろん、技術をライセンス化しただけでは、商売には結びつかない。ヤッパでは、3D技術をどう活用すればエンドユーザーを惹きつけ、その結果クライアントに利益をもたらすことができるかを、実直な営業を重ねて訴え、契約を獲得していった。

会社買収や倒産の危機もあったが、伊藤社長は、その都度「自分たちの技術は、人の役に立つかどうか」を自問。「提供するものが社会に貢献できる限り会社は存続する」と信じ、ユーザー視点に立って使いやすさとクオリティを高めることに心血を注ぎ実績を積んでいった。

やがて、自民党のホームページに採用され、フェラーリやマセラッティといった海外の自動車トップメーカーをも顧客に持つように。今では、国内のほぼ全自動車メーカーに採用されるまでになった。「物事の本質さえつかむことができれば、あとはつたない経験や知識しかなくても、やっていける」と伊藤社長は語る。地に足のついた着実な歩みで世界へ羽ばたく若き起業家に、日本を変えるビジネスリーダーとしての活躍を期待したい。

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日本クリエィション大賞2005 海外賞

文化の壁を越え集う4万人の大盆踊り大会

クアラルンプール盆踊り実行委員会 殿

毎年7月に開催されるクアラルンプール日本人会の盆踊り大会は、この地に暮らす日本人の楽しみであるばかりでなく、いまや地域市民4万人が集い、踊る民族交流の祭りとして根づいている。

この盆踊り大会は、当初は日本人会メンバーのみの催しであったが、1997年から一般市民の参加を呼びかけるようになった。現在では、盆踊り参加者の中に日本人が占める割合は1割にも満たない。2001年には最大参加人数5万人を記録。会場の都合でここ数年は4万人規模で推移しているが、世界最大規模の盆踊り大会といってよい。

昨年、第29回目を迎えたこの盆踊り大会は、もともとはクアラルンプール日本人学校によって始められた。その後、規模の拡大にともない実行主体はクアラルンプール日本人会に引継がれたが、地元セランゴール州政府、クアラルンプール日本人学校がクアラルンプール日本人会とともに主催団体として参画し、それに加えてマレーシア日本人商工会議所、日本留学生OB会など実に多くの人々の手によって盆踊り大会の成功が支えられている。日本人学校の生徒の果たす役割も大きい。

 また最近では、盆踊り、ソーラン節に加えて、地元セランゴール州が「マレーダンス」を準備するなど、マレーシアらしい色彩も加わり、一層のにぎわいを見せている。日本の盆踊りの輪がアジアに広がり、30年近い年月を積み重ね、ここに新しい文化を持つ祭りが誕生した。over_img

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