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2019.04.10 | 建築

私の好きな “かたちと風景” ④日比谷ダイビル

 

日比谷ダイビルに施された旧大阪ビル東京分館の獣面

 

日比谷公会堂(千代田区内幸町)の交差点のはす向かいに日比谷ダイビルというオフィスビルが建つ。日比谷ダイビルが建つ以前は、大阪ビル東京分館の一号館と二号館が建っていた。

大阪ビル東京分館は、一号館が昭和2(1927)年、二号館が昭和6(1931)年に竣工したビルで、設計は渡辺節であった。渡辺節は、著名な建築家・村野藤吾の師であり、代表作には重要文化財の綿業会館や鉄道院在籍時に担当した梅小路機関車庫などがある。

一号館は、ほとんどの建築史の教科書では触れられるような建築史上では評価の高い建物であった。評価されたのは平面計画で、エレベーターや階段室、便所などを中央にまとめたコア式を日本で初めて導入したオフィスビルであったためである。東京タワーの設計で知られる構造家で早稲田大学教授であった内藤多仲は、渡辺節の逝去に伴う追悼記事(建築雑誌1967年4月号,日本建築学会)の中で「これが今いうコアーシステムの第一号ではなかろうか、その平面計画において同氏の主張はサービス関係の室は光線は二次的で良いから内側に、オフィスルームは光線の採れる外側にという「アイデヤ」ことに相互の連絡からこれを中央部に納めて作るといった方針でやったという事である。

これは大正15年(1926)の事で今日の「コアーシステム」に先行すること40年、もって建築のパイオニヤとするにやぶさかでない。」と述べている。つまり、外壁に面して事務機能やロビー、銀行などの客や勤務する人々が在室する部屋を配置し、中央にエレベーターやトイレ、階段をまとめて廊下を周回させることで、各室からコアへの移動距離など機能合理的な平面を実現させた。

 残念ながら一号館は昭和61(1986)年、二号館は平成2(1990)年に取り壊されたが、実はその記憶は現在も継承されている。現在、大阪ビル東京分館の建つ場所には日比谷ダイビル(1期工事は平成元(1989)年、二期工事は平成3(1991)年)が建つ。設計は日建設計である。

日比谷ダイビルには、一号館の外壁頂部に付いていたテラコッタが移設されている。近代建築の保存手法としては、これをエレメント保存と呼ぶ。

部分としてでも昔の建物の名残を継承しようという方法で、日比谷ダイビルには豚や鬼などの獣面が外壁面の各所に散りばめられている。公開空地にも移設されているので、さながら都市の動物園のようである。ビルとしては新しいが、獣面を見るだけで楽しい気持ちになれる。

参考文献:
近代建築史概説、彰国社、1978
東京建築探偵団:建築探偵術入門、文藝春秋、1991
大河直躬編:歴史的遺産の保存・活用とまちづくり、学芸出版社、1997
ダイビルホームページ http://www.daibiru.co.jp/

 

博士(工学)、有限会社花野果 代表取締役
二村 悟 Satoru Nimura

受賞歴:O-CHAパイオニア学術研究奨励賞 受賞、第47回SDA賞 サインデザイン奨励賞・九州地区賞特別賞 受賞、第5回辻静雄食文化賞 受賞ほか
静岡県掛川市 (旧大東町) 生まれ。博士(工学) (東京大学)。
東海大学大学院博士課程前期修了。元・静岡県立大学食品栄養科学部 客員准教授。
現在は、有限会社花野果 代表取締役、専門学校ICSカレッジオブアーツ 非常勤講師、日本大学生物資源科学部森林資源科学科 研究員・非常勤講師、工学院大学総合研究所 客員研究員。
主な著書:水と生きる建築土木遺産 彰国社 2016、日本の産業遺産図鑑 平凡社 2014、食と建築土木 LIXIL出版 2013、図説台湾都市物語 河出書房新社 2010
花野果 HANAYAKA https://tatemonoxxx.amebaownd.com/

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